<江戸末期製作:一楽編煙管入れ>
松江藩の料理方だった長崎 仲蔵(なかぞう)は
江戸で習った技術を使い、
島根県松江市で籐細工を始めました。
画像の奥に映っている筒は煙管(きせる)を入れて
持ち運ぶ為に作られました。
1mm以下の幅の籐ひごを使って、
<一楽編(いちらくあみ)>という
編み方で編まれています。
<江戸末期製作:石畳編茶籠>
当時の籐細工は材料がとても希少な為、
小さな細工が多かった様です。
こちらの籠も
大人の掌ほどの大きさです。
<石畳編(いしだたみあみ)>
という4角形が並んだ編み方で編まれています。
1つの4角形の大きさは5mm程です。
<明治中期政策:花結編組籠>
長崎 福太郎は、
初代 仲蔵の息子です。
長崎家で現在まで続く花結び編は、
福太郎が考案した編み方です。
<明治中期製作:石畳編組籠>
福太郎は繊細でゆったりした籠を編みました。
花結び編は石畳編を変化させて作られた編み方です。
石畳編はかっちりした雰囲気で、
花結び編はふわっとした雰囲気です。
<大正期製作:網代編花活>
2代 福太郎に子供がいなかった為、
姉の娘と結婚をした森山 千代一に、
花結び編の技術を教えました。
その際に、
千代一に子供が出来たら
長崎家へ養子にもらう事を
約束しました。
大正期にはいると籐の輸入量も増え、
近隣に数件の籐籠屋があったようです。
千代一はおっとりした性格だったので
ゆったりした籠が特徴です。
<昭和初期製作:花結編組籠>
こちらの籠は上部に
巾着を付けて持ち運ぶ
<籠信玄>として編まれました。
千代一は、
細く揃えた籐を使った
小さな花の並んだ籠を
良く編みました。
<昭和初期製作:一楽編茶櫃>
森山 誠一は3代 千代一の長男です。
大正期には松江に数件あった籐細工屋は、
長崎家のみになりました。
誠一はこれまでの代になかった
漆塗りの籠を始めました。
<昭和初期製作:花結編組籠>
とても緻密で正確な仕事が特徴で、
いろいろな公募展に入選し、
工芸作家として活動をしておりましたが、
30代で亡くなりました。
一つが直径5mmのとても小さな花が並んだ
綺麗な籠です。
<昭和中期製作:一楽編花籠>
長崎 藤吉は3代 千代一の次男です。
(4代 誠一の弟です。)
誠一と一緒に仕事をしていましたが、
誠一が亡くなった後に
千代一と一緒に仕事をしました。
藤吉は
父千代一と2代福太郎が約束した通り、
長崎家に養子に入りました。
一楽編は芯の輪で出来る輪郭と
芯を締める籐の網目で出来る模様の、
組み合わせで多様な籠が出来ます。
藤吉の編んだ一楽編の籠は、
網目のがきれいに流れ、
美しい輪郭が特徴です。
<昭和中期製作:藤吉土瓶敷>
土瓶敷はとても評判が良く、
多くの方に使って頂いた様です。
藤吉の仕事をした昭和は
戦争によって原材料の籐が
手に入らない時期が
何度かありました。
その時期は古い籠を解いて
新しく作り変えたり、
穀物の袋の結び目として
使われていた籐を集めて籠を編んだり、
籐椅子の修理をして仕事を繋ぎました。
<平成中期製作:素編手提籠>
長崎 誠は5代 藤吉の長男です。
現在島根県松江市のかんべの里に
仕事場を構えています。
長崎 誠さんは私(川口淳平)の師匠です。
長崎さんは幼いころから父 藤吉の
雑用をしながら育ちました。
大学を卒業して籐細工を本格的に始めます。
<平成中期製作:土瓶取っ手>
最初仕事は土瓶の取っ手づくりです。
当時は民藝が盛んで
全国の窯元から注文が入り、
5代 藤吉と二人で
毎日取っ手を作っていました。
<平成初期製作:花結編組籠>
一子相伝の花結び編は修行を始めて
10年後でした。
長崎さんが仕事を始めた昭和後期は、
大量消費の真っ只中で、
手間をかけた品物が減り始めた時期でした。
そんな中長崎さんは、
籐を鉈(なた)で割り、
刀で厚みや幅を揃え、
籠を編み続けて、
現在も続けています。
<左から 素編籠 片流素編籠 荒組籠>
長崎 誠 2019年 製作
長崎さんの編む籠は、
とても立体感があります。
これは
直径が小さい籐(8〜10mm位)を割って作る
特徴でかまぼこ上の厚みのあるヒゴが、
程よく入り組んでいることで立体感が出ます。
長崎さんの作った籐細工は
こちらで販売しています。
私(川口 淳平)が
長崎さんに籠を習うことになった流れは
こちらからご覧下さい。
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