花結組籠は、
島根県松江市で籠を作っている長崎 誠さんに、
2009年に弟子入りをして、
2015年から販売を始めました。
長崎さんは松江市大庭町にある
<かんべの里>で仕事をしています。
インドネシアやマレーシアなどの熱帯で育った
籐(とう)を鉈で割って籠を作ります。
長崎さんは江戸末期から続く
<松江藩籐細工>の6代目です。
<花結組籠>
6代目 長崎誠 2009年製作
<花結組籠>
2代目 長崎 福太郎 明治時代製作
2代目の<長崎福太郎>が考案した、
<花結組籠(はなむすびくみかご)>は、
長崎さんの代まで秘伝の技として受け継がれてきました。
長崎家の歴史についてはこちら
座り仕事を続けて来られた長崎さんは、
2010年に腰を痛め長時間の作業が難しくなりました。
長崎さんは色々な編み方で籠を編まれすが、
編み上がりまでに長い時間がかかる花結び編みは、
2010年以降ブローチなど小さな物のみ編まれています。
左から 素編籠 片流素編籠 荒組籠
長崎 誠 2019年 製作
現在は主に素編と荒組の籠を編んでいます。
私が長崎さんの籠を初めて拝見したのは2009年の、
島根県松江市の DOOR BOOKSTORE で、
器を製作される原 洋一さんとの2人展でした。
本体が籠で出来たバッグを製作したいと思っている時に、
長崎さんの籠を拝見しました。
長崎さんの籠を拝見して、
籐籠のバッグを作りたいと考え、
本体の製作をお願いをする為に長崎さんの工房がある、
島根県松江市にある<かんべの里>へ伺いました。
当時(2010年)長崎さんは籐細工を初めて、
40数年が経っており長年の座り仕事の影響で、
腰が悪くなり製作が困難になったので、
私の依頼には答えられないとおっしゃいました。
詳しくお話を伺っていると、
長崎さんには弟子がおらず、
後継ぎもいない事が分かりました。
これだけすばらしい仕事は残すべきだと思い、
長崎さんに弟子入りをお願いしました。
その際に長崎さんは
「花結組編はこれまで、
一子相伝で血縁者のみに受け継がれているので、
技術は墓まで持って行こうと思っている。
でも<素編(すあみ)>や<土瓶の手>など、
花結びの籠の他にも良い技術がたくさんあるので、
それは教える事が出来ます。」
とおっしゃり、弟子入りを許可して下さいました。
それから週に1度、長崎さんの工房に通いながら、
籐を割って籠の材料を作る事から、
じっくり教えて頂きました。
<素編籠>
6代目 長崎誠 2009年製作
長崎さんの作る素編籠や土瓶の手はとてもすばらしく、
その技術だけでも残せれば思いながら、
工房に通っておりましたが、
やはり花結び籠のすばらしさを忘れることが出来ず、
どうにか花結び籠の編み方を残せないかと考えておりました。
散々考えていて思いついたのは、
<「花結びはお墓まで持って行く。」が口癖の長崎さんも、
「どうしても籠屋になりたいっ!」という人が現れれば、
「君に花結びを教えようっ!」>という流れです。
その考えを持ちながら、
4年経ちましたが、
籠屋になりたい人を見付ける事が出来ませんでした。
そして4年の間に長崎さんの腰の痛みが少しずつ増し、
元気がなくなって来ている様に感じてました。
「このままでは花結びを習いたい方が現れる前に、
長崎さんが籠を編むのを止めてしまうかもしれない。」と、
原 洋一さん(長崎さんと長年の親交がある焼き物屋さん)に、
相談をしてみましたら、
「川口君のお店は広いんだから、
長崎さんが元気になる企画をしてみたらどう?」と、
ご助言を頂きました。
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